10.19.2010

60-【自転車】やっと観光ルートに復帰、古格遺跡へ。ああつかれた




            ↑下部(ダバ村)/中央(マンナン村)/上部(グゲ遺跡)
【地図06-グゲ遺跡周辺全体図】

さて朝準備も終わり出発して街を出ようとしたら、軍検問があった。いままで通りシレーと通ろうとしたら、向こうも何だこいつはといった表情で、走り去ろうとした自分を慌てて止めた。

何処いくんだ?身分証は?

ただでさえ車の往来のない場所だ。自分自身、この3,4日、車とすれ違ってない。
まして自転車でなんてよっぽど驚いたんだろう。


パスポートだすの面倒(貴重品袋にはいってるから)なので、ポケットに入ってた国際学生証をみせた。
どうせ英語なんて読めないから、検問所の連中も面倒くさがって、すぐに通してくれると思ったのだ。

実際田舎の中国人にはその節がある。
が田舎すぎて外人すら見た事ないか?このへっぽこ軍人ども。そうしたら上官呼んできやがった。

この上官がパスポート見せろだの、パーミットも見せろと言いやがる。
かえって面倒くさくなってしまった。
この街の許可は取ってなかったが前後の街の許可は取ってあったので特に問題はないだろうと思ってたが、いい感じはしない。

とりあえず名前の登録だけですんだ。
そうしたら今度は好奇心満々でへっぽこ軍人達がいろいろと質問してきた。
この日本パスポートよく見せてとか、自転車でどこから来たのかとか、、、。

よっぽど暇なんだろうな、、、。

検問後は谷を上って行く。 出発前から疲れた、、。
街後は谷のなかの川跡を上って行く。

また高原と渓谷の繰り返しだ。
途中下り切った所にトンサー村があったが、商店もなにもなかった。


また峠後は高原を下って行く、、、。
おわんねーな、この繰り返す、、、。だんだんヘタレきた。

しかし今日こそグゲに着くのだ。
また渓谷を下りきると大きな川が見える。マンナンの村か?と思ったが下り切った所にはなにもない。

今度はこの川の河川敷を上流に向かって行く。
ここがまた砂利がおおくて走りづらい走るづらい。

すると草原がみえてきて、大きな橋も見えてきた。やっとマンナンだ。

ここはかつてのグゲ大国の都の一つだ。
歴史的にはこれから向かうツァパランのグゲ遺跡よりも古い。が何にも残ってない。

壁沿いに穴住居跡らしき物が続いてるくらい。


しかしこのマンナン、なかなか雰囲気がいいのだ。いままで無人の荒野って感じだったのが、広い谷間に川がながれててそのおかげで草原があり遠くには雪山が見える。

風の谷?桃源郷だな、ここは。
かつてここに都をおいた理由がなんとなくわかるかな?


マンナンの街
壊れかけたゴンパと数件の家がある小さな村だ。
ゴンパはチベタン寺にしては木々に覆われて、どこかタイの寺院を彷彿させる。


この街後は相変わらずの上り。実はこれが最後の峠だったのだ。峠までくると、岩の間にチベタンフラッグがかかっており、その先からの景色がいままでとは一気に変わった。


土林の世界だ。いままでもそれなりの谷だったが、土林はひと味違う。
標高がいままで4000m以上あったのが3600mまでここから下がるのだが、他のチベット高原の下にも軟らかい地層があるのか?
この土林は標高の低いこの周辺でしかない。

軟らかい岩が雨によって浸食をうけ奇怪な形の土林に何千年もかけて形が変わっていくのだ。

土林の谷を下る。
ついに来た感があるぞ。グゲはこの先だ。
道も一気に標高を落とす。そして土林の谷に入って行く。


景色は見事だが、道は最悪。どうやら谷の川の中を走ってる様だ。
今は乾燥してるからボコボコ道だが、雨が降って川となったらドロドロ道となって最悪だろうな。

下ってるとはいえ悪路の為スピードが出ない。しかもまたパンク。
こんなにゆっくり走ってるのに?とタイヤをみればとげ状の植物が多数前後輪に刺さってるではないか!

なんて恐ろしい地だ、、、西チベット。
おかげでしばらくこのトゲに気づかずパンクを2,3回繰り返してしまった。

しかしこの道、こんなにボコボコなのに、珍し形の土林には名前と説明のはいった看板がそこいらに立っている。どんなアホな奴がここまで苦労して見に来るんだよ、、、(ここまで来ている俺はアホか?)

しかも今日も一台も車にすれ違ってねーぞ。看板作る前に道作れ!


そして前方におおきな川が見える。サトレジ川だ!しかも分岐に標識だ。
ついに本来の観光ルートに戻ってきた。

夕日の土林
日も沈みかけてきた。ゴールはもうすぐだ。でまたパンク、、、、オイ。まだトゲ残ってるのかぁ?

真っ暗になる前になんとかグゲ遺跡の拠点となる街、ツァパラン着。
商店横に食堂があった。宿もあるという。


今夜の宿泊場も決まったかと思ったが、 35元と高い。まぁ外で寝ればいいかと思って断った。村人も寝静まった夜遅くなったらテント張るか、では食堂でのんびりしてよう。

そうしたら30代のチベタンが話しかけてきた。こっちを中国と思って話しかけてきたらしいが、日本人とわかって、戦時中映画の話をしてきた。

中国ではよく反日映画やテレビ番組が多い。また最近の日中関係の悪化もあり、田舎に行くと情報はテレビ(都心部のネット情報丸のみの連中もうざいが)しかないので、結構日本人をみると突然敵意むき出しの人間に時々あるが、まさか、チベタンともめるとは思わなかった。

ああ、日本人か。酷い連中だよな。このDVD見てみろよ、とこの30代のチベタンが持ってきた。そして「中国はいい国だ。毛沢東は最高だ。」と言ってきた。かつての戦時中に中国人(漢民族)に日本軍に対して事は否定する気はないが、チベタンが毛沢東最高って言っちゃよろしくないでしょうよ。

じゃぁダライラマはどうなんだ?と聞くと、「彼も最高だ。」と言う。ちょっと安心か。ならなんで彼はインドにいてチベットにいないんだと、聞くと、時期に帰ってくる。

彼自身も子供の頃、インドに亡命して幼少時過ごしてるらしい。中国によって再洗脳されちゃったのかぁ?

今の各地のゴンパとかすぐ裏のグゲ遺跡はなんで壊れたか知ってるのかって聞くと、知らん。

毛沢東だぞ(破壊したのは)
いや毛沢東は最高だ。
らちあかん会話が続く。
しかし周りにいた、文化大革命をしっている人達も話を聞いていたが、何も口を挟んでこなかった。

そりゃ、そうだ。中国の学校ではダライラマはテロリスト扱いだろう。元々チベットは中国のもので人民解放軍が欧米諸国から解放した事になってるだろうし、チベットでの悪事はもみ消したい歴史だろう。やってる事はさっき彼が見せてくれた、かつての大日本帝国みたいだな。

それなのに家に帰れば親達が子供に真実を教えてしまえば歪みが生じる。そう言う親達にはしっかり公安の目が光ってるのだろう。

明らかに50代以上の人達にあなた達はゴンパが誰がこわしたか真実を知ってるでしょう?って聞いても無言。

恐るべし圧力。そう、一見平和そうに見えるチベットは世界一政治犯の多い地域でもある。年間数千人の人々が危険をおかして、国境警察の警戒の緩む冬のヒマラヤを越えてインドに亡命する。かつて亡命中の子供達を銃殺して世界的に問題にもなった。

何処で誰が聞いてるか、わからないのだ。へたな事をしゃべれば獄中ってのも冗談でははい地である。

中国の恐るべき洗脳と口止め圧力を見た時だった。

その場に居た、子供達には頑張って英語を勉強する様にいっといた。中国語では真実が見えない事が多いからだ。チベットの中でも辺境とはいえ、外人も多く訪れる観光地だ。外人と話せば世界も広がるだろう。

そして50代らしき人々には「我々外国人はわかってるから(安心して)」と、言っといた。

自分自身中国人の友達はいる。よくないのは中国政府だろうという話もした。宿のオーナーのおばあさんの最後に言った、外人も中国人もチベット人もみんな一緒だよという言葉にはきっと人々同士はわかりあえるという意味がはいっていたのかなーと思う。

人同士だとうまくいくが、国が入ってくるとややこしくなる。



食堂の宿。宿自体は食堂の裏の建 物になる。
言値は35元だったが、外でキャンプするからいいよっていって食堂で他のチベタンと夜中まで盛り上がってたら、20元にしてあげるから泊まって 行きなさいとの事でまけてもらった。

しかも20元にまけさせたのは盛り上がって一緒にはなしてたチベタン。


-- ■移動情報 チベット地図と距離一覧と記号の見方⇒★チベット「距離表」☆

updown
km

city
etc
CP
Altitude
0km



"Dawa? "(达巴) H+S ++CP 4150m

[↑up 5k :D] pass

4400m

[↓down 9k :D] "Tonsa? Village"(neardy 42kp)

4050m

[↑up 9k :D] pass

4250m

[ k :D] highland 

4500m

[↓down 12k :D] "Mannan? "(南林) /H+S
4000m

[↑up  11k :D] pass

4350m

[↓down 14k :D] Divergence to
"zhada/tholin"(札達)&Guge=Kingdom(古格遺跡)


3750m
75km [ 8k :D] "Tsaparan? village"(ツァパラン)
/Guge=Kingdom(古格遺跡)
/H+S
3650m

周辺map
コメント:街のグゲ側に軍検問がある。谷を上って行きまた渓谷で下って行く。下り切った所に小さな村トンサーがある。川沿いの下って、今度は川沿いを上っ て行く。峠で次の渓谷を下って行く。おおきな河川敷まで下って行く。ここの道は砂利がおおくて走りづらい。川の上流に向かうとおおきな橋がりその先がマン ナンの街。かつてグゲ王宮時代の都があった所だ。街後はまた丘を上って行く。峠には岩にチベタン旗が。そして景色が一気にかわって土林の景色が表れる。こ こから下り。道はガタガタ。土林のなかの谷間を下って行く。サトレジ川の所でやっとメイン道路と合流。川沿いでグゲ遺跡とツアンダの街にいける。

門士→曲龍→トンバ村→ダパ→グゲ遺跡ルートマップ
ダパ(达巴)→グゲ遺跡
10:00発→21:00着
走行距離 /75km
実質走行時間 7.5h
平均時速/10kh


 
hotel
ツァパラン
??
ADD :

村からグゲ遺跡のある丘に上る入り口の駐車場にある食堂の宿。宿自体は食堂の裏の建 物になる。言値は35元だったが、外でキャンプするからいいよっていって食堂で他のチベタンと夜中まで盛り上がってたら、20元にしてあげるから泊まって 行きなさいとの事でまけてもらった。しかも20元にまけさせたのは盛り上がって一緒にはなしてたチベタン。
TEL: HP:
値段:ドミ20元
設備:トイレ外、シャワーなし
電気:24時間
身分証提示:なし



info.CITY
ツァパラン
サトレジ川沿いにある小さな街。奥には軍施設らしきものもある。グゲ遺跡観光の拠点にもなる。車でグゲ遺跡に行く場合は別料金払ってゲートの中に入るか、村に車を置いて徒歩で丘の上の遺跡に行く。簡単な食堂や商店はある。
情報/商店
宿


info.CITY
マンナン(南林)
かつてのグゲ王国の都の一つ。今は 谷間の川沿いにある小さな村。谷の壁には洞窟遺跡が続いてる。荒れ地が続いてたこのルートでは突然この村の谷で 草原がひろがっていて、遠くに雪山脈がみえ桃源郷に感じた。商店がありここで泊まるとこができる様だ
情報/商店
宿

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